外資系マネージャーの独り言

日本で外資系企業のソフトウェアエンジニアマネージャーをやってる人のブログです

ソフトウェアエンジニアの税負担と生活コストの国際比較

ある程度自由に国をまたいで働けるソフトウェア開発の仕事をしているので、家族持ちの一般的な稼ぎのソフトウェア開発者はどこの国に住むと税負担や生活費の面で考えて有利なのか‥ということをざっくりとしたアプローチから見てみます。

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ソフトウェアエンジニア・約束の地

東京のオフィスで主に一緒に働いている近隣のチームには、エンジニアが10人くらいいます。

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出身は、ヨーロッパ圏、アジア圏、アメリカ圏と多岐にわたり、ほぼ全員の国籍が違いますが、ひとつだけ共通しているのは「優秀かつ経験豊富なエンジニアで、どこでも働く能力を持っている(そして今は日本に住んで仕事をしている)」ことです。もう少し広い範囲で周りのエンジニアを見回すと、同じようにバリエーション豊かなメンバーが揃っていて、ネイティブな英語人はマイノリティーであることに改めて驚きます。

日本人だったり、日本人の奥さんと結婚したり…というメンバーも数名いますが、同国人同士で結婚したりしていて、日本という場所にこだわったわけではなく、単純に「稼げるから」とか「面白いポジションがあったから」とか「世界中動き回るのは楽しそうだから」といった理由で東京で働いてるメンバーが多いようです。

不況に苦しむヨーロッパ圏では優秀なソフトウェアエンジニアを雇う企業も限られていて、例えばアイルランドのように政策的にグローバル企業を誘致している国にはたくさんのIT企業がEUの拠点としてそこに群がって、そこで発生する雇用に引き寄せられる形でヨーロッパ圏のエンジニアがそこに住み着いて…という構図があります。いかに高い技能や経験をもっていても、自国にいたら専門知識を活かすチャンスがなく、マックジョブにしかありつけないという現実は、これらの国から多くの若者をEU圏の「稼げる国」に旅立たせる要因になっています。実際問題、彼らの話を聞いていると、日本はエンジニアにとってまだまだ恵まれた環境なんだなということに気づきます。

とはいえ、南欧や東欧の人間からすると、アイルランドでの生活や天気は面白みに欠けるようで、そういった面々はアジアやアメリカ、それにオーストラリアなどといった国に目を向けることが多いようです。

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対照的に、シリコンバレーのオフィスの様子を見る限りだと、「若くて優秀なエンジニアには驚くほどインド人や中国人が多い」という印象があります。おそらく、これは祖国を出てアメリカに留学し(または両親世代がアメリカに移住してアメリカで育ち)、大学ないしは大学院を卒業した後の数年で無事にソフトウェアエンジニアとしての仕事を手に入れて、キャリアを作って行く過程のアジア圏の若者がソフトウェアエンジニアとして働いているケースが多い、ということなのだろうと思います。

アメリカのエスタブリッシュメント層に食い込むことは出来なくても、最先端の業界で一定レベルの成功を収めることができれば移民一世または二世世代として満足のいく生活を営むことができる(そして子供にはそれ以上を求めることができるかもしれない)というわけです。

ベイエリアでのソフトウェアエンジニアの給料の高さは地元住民との軋轢を生むほどにエスカレートしていますが、この傾向はしばらく続くような気がします。ソフトウェア産業ってプログラム書く人だけでできてるわけなくって、厄介な性格(なことも多い(笑))プログラマーの群れをまとめることができる(杞憂な才能を持った)マネージャーだったり、ビジョンを語れる経営者なりが必要になるわけで、そういう人間が集積している場所は世界にそう多くはない。

もちろん、高いエンジニアの給料を嫌って脱シリコンバレーをしていく動きもあるでしょうが、ネットの世界のサービスはなんだかんだ言って社会的な自由度・柔軟性が高いアメリカが先進的なことをやっていることが多いですし、カルチャー的に自由なことをやらしてもらうことができるカリフォルニアを拠点とするメリットは簡単には覆らないと思います。特に、これからのIT企業は社会インフラとの繋がりも含めた形でサービスを提供していくことになっていくことが予想されるので(自律運転、スマートホーム、モバイル通信…)、ますます「その場所にいること」が余計に大切になってくるんじゃないかという気さえしてきます。

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昔から日本のソフトウェアエンジニアが目指す場所として「シリコンバレー」というのがありましたし、今でもそういった空気はありますが、今の会社に入ってその本当に意味が分かったような気がします。

ま、自分がそれを目指したいかというと、必ずしもそうは思わなかったりするわけですが…。

高度人材ポイント制のビザのルール変更

移民に頼らなければ人口減は防げないとかなんとか議論されている日本ですが、いわゆる高度の専門職(Highly Skilled Professionals)については既にポイント制で評価して、一定年数以上滞在している外国人には居住ビザの発給を行っています。で、このビザ発給に必要な年数を減らして、高度人材の日本への定着を促進する動きがあるようです。

www.asahi.com

 

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ソフトウェアエンジニアの英語力

日本語が亡びるとき...という本があります。この本で、著者は言語を以下のカテゴリーに分けています。

  • 現地語: ひとつの言語圏で日常的に用いられている言語。
  • 普遍語: ひとつの文化圏で普遍的に用いられている言語。
  • 国語: 近代国家の誕生と共に発達した「ひとつの国において現地語が普遍語に昇格した」言語。

前に書いた書評から引用すると、

例えば、中世/近世のヨーロッパではそれぞれの地方で使われている現地語(ヨーロッパの各種言語)とは独立して聖職者や学者達によって「読まれるべき言葉」を残すために使われていた普遍語(ラテン語)が存在しており、この「普遍語」を使いこなすのは限られたエリート達だけであり、彼らは二重言語者であったということができる。この構造は中華文化圏でも同様で、漢文という普遍語にアクセスできる文化人は日本においても常に一部の上流階級や僧侶に限定されていた。

 この状況が崩れたのは近代国家の誕生に伴う「国語」の発生で、ひとつの国家の中で「読まれるべき言葉」が蓄積・活用されるに伴って「普遍語」の役割の一部を「国語」がまかなうようになった。 

増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で (ちくま文庫)

増補 日本語が亡びるとき: 英語の世紀の中で (ちくま文庫)

 

さて、2017年(あるいはもっと前から)の現実として「インターネット文化圏では英語が普遍語としての地位を確立している」と言えると思います。何かしらのプログラミング言語フレームワーク、それにサービスを使うにあたって、一次情報がほとんどの場合において英語のみに集約されており、かつソフトウェア開発に関するコミュニティーレベルでのコミュニケーション(RFC、StackOverflow, etc)も英語によるものが支配的になっている現状を考えると、中世/近世的な言語構造に近い状態にあると言えるのではないかと個人的には思います。

例えば、2016年に話題になった記事で、こんなのがありました。

d.hatena.ne.jp

英語ができれば優れたソフトウェア開発ができる、とは思いませんが、英語の読解力やコミュニケーションスキルによってインターネット上のソフトウェア開発に関する情報へのアクセシビリティが飛躍的に向上することを考えると、日本語の情報リソースに限定してソフトウェア開発をするよりも、ソフトウェア開発の生産性が著しく向上する可能性は大いにあるのかな、と感じます。

と同時に、日本語でのソフトウェア開発に関する情報も(一定のディレイを伴って)、多くの場合において十分と言えるレベルに豊富であり、多くの本が翻訳されたり、リファレンスやチュートリアルが日本語化され続ける限り、一定レベルの情報へのアクセシビリティは確保され続けるのではないかと思います。

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日本の外に目を移して非英語圏のヨーロッパ人の同僚達の話を聴く限り、彼らはインターネットやソフトウェア開発に触れ始めた当初から、母国語での情報収集やコミュニケーションに期待できなかったため、ネットやソフトウェアに関しては英語を使わざるを得なかった…という現状が見えてきます。そもそもインターネット・ソフトウェア技術の技術ターム(例:TCP=Transmission Control Protocol)の大半は英語で、母国語でコミュニケーションをするにしてもいちいち母国語に訳したものを使うよりも、英語の呼称をそのまま使ったほうがはるかに効率的で、しかも他の技術タームとの統一性があります。

実は、これは自分が高校時代に英語圏の高校に転入して、はじめてまともに数学や物理と向き合った時に感じたことでもあります。日本語に翻訳された単語はどこかしら苦しさが残っている印象があり、日本語で何かを学んでもアウトプットが英語である限り再翻訳が必要になると同時に他の単語との繋がりも悪く、(持ってきていた)日本語の教科書は早々に諦める必要がありました。

例えばですが、v=atという式があったとして、これを

v = Velocity

a = Acceleration

t = Time

と覚えられるのと、

v = 速度

a = 加速度

t = 時間

として覚えるのでいうと、前者の方にメリットがあるように感じます。これらの基本的な概念には直感的でわかり易い日本語訳が存在しますが、その他多くの単語と絡んでより複雑な概念の理解を進めていった時に、言語同士の繋がりそのものから直接的に意味を理解できることには圧倒的なメリットがあります。

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日本語が亡びるとき」の言語カテゴリーにおける普遍語を流暢に操るインターネットエリート層とも言える(実際、ソフトウェアエンジニアとして特別に優秀)人たちですが、こういった層が母国語コミュニケーションで技術の話をしなくなることは、その言語を話す人たちの普遍語学習のモチベーションを高める効果があり、ますます英語でのコミュニケーションが興隆する、というサイクルが出来上がっているように思います。

外資系企業のソフトウェアエンジニアの、日々の業務での英語コミュニケーションという観点からみると、社内のドキュメンテーションは全て英語で、コードレビューも当然ながら全面的に英語だったりするので、非ネイティブだろうと何だろうと、技術に関する議論で英語が使えないのは論外という風潮はあります。それと同時に、ある程度の技術レベルの持ち主で、義務教育レベルの英語を学んでいる人であれば、簡潔に伝えるべきことだけを(多少間違えていても)意味が通じるレベルで伝えれば、内容がしっかりしている限り全く問題はない、ということも確かだと思います。

そういう意味で、ソフトウェアエンジニアの世界というのは、すでに多くの技術タームが英語化しているのと同時に、(ネイティブ・ブロークン含めた)英語でのコミュニケーションが標準化しているので、仕事を英語を使う環境としては敷居は低いのではないか、と個人的には思います。

RSU(Restricted Stock Unit) 傾向と対策

会社の役員や従業員が所属する会社から自社株式を購入できる権利としてのストックオプションはよく知られています。

成功したベンチャー企業では、この権利で一般社員でも大きな資産を手に入れられる可能性がありますが、一部の外資系企業ではRestricted Stock Unit(RSU=制限付き株)という形で自社株を社員に与えていることがあり、現職では著者もこのRSUを賞与に近い形で受け取っています。

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実質GDPの比較

ふと面白いグラフがあったので、自分にとって縁のある国について思ったことをつらつらと書いてみます。なお、実質GDPとは、物価の変動による影響を取り除いたその年に生産された財の総計で、任意の国の経済活動の指標になります。

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まずは日本。自分は日本で生まれた日本人で、今も日本で生活してます。 実質GDPの推移 - 世界経済のネタ帳

お次はタイ。子供の頃に住んでいて、今でもたまに遊びに行きます。 実質GDPの推移 - 世界経済のネタ帳

ついでオーストラリア。縁あって、友人が多数います。実質GDPの推移 - 世界経済のネタ帳

イギリス。高校・大学時代を過ごしました。 今でも友人が多数住んでます。

実質GDPの推移 - 世界経済のネタ帳

最後にアメリカ。一時期西海岸に住んでいて、今の職場のHQはアメリカにあります。

 実質GDPの推移 - 世界経済のネタ帳

上のグラフは1980年からはじまっているので、ちょうどこれから20年30年という自分が仕事をして稼いでいくであろう時間軸との比較で考えやすくてよいですね。 日本やイギリス、アメリカといった成長が鈍化している先進国は過去30年強で実質GDPが約2倍程度になっているのに対して、オーストラリアは3倍、タイは5倍以上になっている…ということになります。また、実質GDPは物価の変動を加味して計算していますが、物価の変動を考慮しない名目GDPで考えると、オーストラリアは約10倍、タイは約18倍という驚異的な伸びを見せています(日本は約2倍、イギリス約7倍、アメリカ約6倍)。

どうして日本がここまでほかの国と異なるデータを出すことになったか…というと、さまざまな理由が挙げられそうですが、自分が思いつくのは以下のような点でしょうか。 

  1. 新しい価値の創造&それを高く売ることに失敗してきた
  2. 新しい労働力の獲得に失敗してきた
  3. 国内経済の効率化(人件費の削除・サービスの効率化(=経済成長に寄与しない))に邁進してきた

1.は会社や個人が野心的なチャレンジを繰り返して成功を収めることが少なかったのが原因でしょう。2.は少子化の影響もありますが、それ以上に日本の文化的・社会的閉鎖性によるところが大きいように思います。3.は、経済成長が頭打ちになる中で日本人が何をしたかということで、もっと怠惰な国民性の国であれば「やってられるか!」と投げ出すような状況でも、日本人はクソ真面目に仕事に取り組み続けてきた…ということなのだと自分は解釈しています。

たとえばアメリカは、今でも新しい(優秀な)労働力を海外から大量に調達し、新たな付加価値を創造し、それを世界中で売ることに成功しています。これは、世界的に有名な大学があり、世界的に大きな影響力を持ち、自由を尊重するイノベーションの文化があり、優れた人を引きつける事ができるのが勝因でしょう。

オーストラリアはもともとこれといった産業のない国でしたが、継続的に新しい移民を受け入れて、資源ブームに乗っかり、安定的に国を発展し続けることに成功してきたのだと理解しています。新しい価値を自力で作り上げたとか、国民が一丸となってハードワークしてきたという印象はありませんが(失礼?)、移民政策にせよ経済政策にせよ、人口・経済規模が比較的少ない国家のメリットを生かして、小回りのきく政策で賢い選択をしてきたように思います。

タイはもともと物価の安い途上国の中では安定した政権があり、(比較的)民主的な運営がなされてきた点と、海外のものを受け入れやすい国民性といった様々な要素が交じり合って、東南アジアの優等生というポジションを維持し続けているように思います。経済レベルの上昇に伴って物価や人件費は上がり続けていますが、それでもまだ先進国に比べれば物価は安いので、当面は同じような成長が期待できるのではないかと予想できます(ただし、国情の安定についてはやや懸念が残りますが…)。

イギリスは持ち前の島国根性を発揮してユーロを導入することなくやってきて、挙げ句の果てにEUからの離脱まで決めましたが、強い金融セクターとアメリカとの深い繋がりによって一定レベルの安定的な成長を続けてこれたのかなと思います。例えば、お隣のアイルランドは大胆な税制で世界中から企業を呼び込むことに成功していたりしますし、国を栄えさせるためにどうすればよいのか…ということをスマートに考えて実行してきたのでしょう。

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日本はバブル崩壊後の20年+を経て再び経済成長を目指すという路線で国民のコンセンサスが取れつつあるように思いますが、減っていく労働人口とハイコンテクスト文化でありつづけることのコスト、それに社会のあちこちに存在している歪みにどう対処していけるかで国の未来が決まってくるのではないでしょうか。今の日本は高いサービスレベルと商品レベルと安全性と利便性を(先進国比では)格安で受けることができる国だと感じていて、(東京の暮らしに極度のストレスを抱かない)職場の周りの欧米人も同意見のようです。

問題は、どこかに歪みを残し続けた居心地の良さに甘えてしまうことと、国家全体として明るい未来が描けていないモヤモヤ感が個人レベルに悪影響を及ぼしているところなのかなと思います。

個人的には、「どこに行っても生きていけるぜ」というスタンスは崩さず、住みやすい国、仕事がしやすい国、稼げる国に、必要に応じて移り住むようなライフスタイルでいきたいと考えていますが、家族が一緒となると制約もありますし、ある程度戦略的に考えておいて、あとは出たとこ勝負でやっていくしかないのでしょうね。

在宅勤務(WFH)の落とし穴

現職では在宅勤務(Work From Home=WFH)の制度・仕組みが充実していて、ある程度自由に家から仕事ができる環境が整っています。

会社のラップトップをネットに繋げてさえいれば、世界のどこにいてもVPNで社内のネットワークに繋いで仕事ができるので、実に便利な世の中になったものだと思うと同時にWFH特有の問題もあり、色々と思うことがあるので、ここでは自分がWFHに関して思っていることをつらつらと書いてみようと思います。

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