外資系マネージャーの独り言

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747ジャンボをつくった男

ボーイングでエンジニアとして活躍し、747プロジェクトのリーダーを務めたジョー・サッターの自伝的な本。翻訳者の解説にある通り、男の子の純粋な「夢」をそのまま生きたような人だなと思う。

747 ジャンボをつくった男

747 ジャンボをつくった男

 

両親ともにアメリカ移民一世で、シアトルの庶民階級に生まれて子供の頃から多くの最新鋭飛行機の姿を目にして育った著者は、航空技師になる夢を叶えるべく名門ワシントン大学の航空工学部で学ぶ。第二次大戦で従軍して船に乗った後は、ボーイング社に入ってエンジニアとして成長し、ボーイング社初のジェット旅客機であり、7xxシリーズの端緒となる707の設計に関わり、727,737への貢献によって747プロジェクトのリーダーとして抜擢される。

ところが、60年代の当時は未来的な超音速機の開発に会社の多くのリソースが取られており、かつサターンロケットにも多くのリソースが注ぎ込まれていた関係上、当初の747プロジェクトは7xxシリーズの焼き直しであり、将来性のない仕事だと考えられていたらしい。当時は繁栄の絶頂にあったパンナム航空からの二階建ての大型ジェットを作って欲しいという要望に応えるために立ち上がったプロジェクトだが、サッターたちはあえて顧客の言うことを聞かずに一階建てのワイドボディー機を設計する選択を取る。こういった重要な決断を顧客と擦り合わせながら進めて行く巨大プロジェクトの様子や、渦巻く社内政治との関わり方、技術的課題に対していかにメンバーたちが解決案を提示していったか、といったことが実にリアルに描かれていて、スラスラとページをめくってしまう面白い本に仕上がっている。

よい仕事をして、信頼性、拡張性、冗長性をもたせた優れた飛行機を作り上げる情熱と、会社の中で仕事をしていくことで遭遇する様々な障害について語る段になると、著者の言葉は俄然力を帯びてくる。

「勇気をもってこうと信じたことをやる。それが、真のリーダーシップである。プログラムから1000人の技師を削除しろという命令を拒んだのがその一例だ。至上命令とも言うべきものにしたがう手もあったが、もしそうしていれば747プロジェクトは失敗に終わり、いずれ退陣に追いやられるのは目に見えていた。代わりに、信念を貫いて現状の人材を確保し、かえってそれが功を奏した。(P.231)」

「ひとつの設計パラメータばかりに注目し、それ以外はそっちのけというのは、プロジェクト・リーダーとしては考えものだ、と私は思う。航空機設計とはつまるところ、妥協の連続なのだ。燃料の積載量が多くなれば、それを入れる頑丈で広い構造が必要となってくるため、機体重量や抗力が増す。そうなると、離陸するのにより強力なエンジンがなければならず、燃料消費率が高まる、といった具合だ。だから、設計チームはこうした要素の最適なバランスを見きわめ、最高の結果を得るようにつとめるのである。ただし、安全性はこのかぎりでなく、妥協は絶対に許されない。

昔もいまも私の生活信条はこれ、「己の信じるやり方で事を行わないのは、世の信頼を裏切る行為である」。責任ある地位についている者は、自分がこうと信じたことをすべきだ。航空宇宙の分野では、あえていやがられることを言ったりやったりするなど、困難な状況に敢然と立ち向かう勇気がないようなら、主任技師になる資格はない。(P.240)」

その結果どんな飛行機が作られたかといえば、大幅な乗客数の増大によって長距離移動の可能性を広げ、1969年の初飛行から約50年が経つにも関わらず、未だに改良が続けられて新しいモデル(747-800)が製造され、さらには貨物機として航空貨物のおよそ半分を輸送しているほどの成功を収めた747「ジャンボ」である。さらには、超音速機プロジェクトの挫折によって苦境にあったボーイング社の救世主となり、その後の7xxシリーズの成長にとっても重要な布石となり、ボーイング社が大型旅客機ビジネスで圧倒的な存在になる決定打にもなった。

何千人ものエンジニアを抱えて、とてつもない時間とエネルギーを使って開発する大型ジェット旅客機の世界はソフトウェア開発の世界とは大きく異なる。だけど、技術者としての視点として「よいものを作ろう」とした時にどういった心構えであるべきかとか、ピンチを切り抜け方とか、そういった面で学ぶことの多い本だと思った。